ようこそ、入門編へ

このページは初心者向けのページです。

できるだけわかりやすいものとなるように心がけました。理解の一助になれば幸いです。

Ⅰ まず最初に知っておいてほしい聖書の内容

 この世界はただ唯一存在される聖書の神がすべておひとりで創造されたこと、その目的、その結末に至るまで、神は聖書を通してすべてを私たちに明らかになさろうとして下さっています。聖書の目的はこの創造主とそのご計画を知るために書かれたものです。多くの宗教は基本的には「人はいかに生きるべきか」ということを中心に置きます。聖書の教えは「人はいかに<神と共に>いきるべきか」ということを中心に置きます。そこに聖書信仰の最大の特徴があります。一見、同じように思うかもしれませんが、前者は人間中心、後者は神中心の考え方を基本とし、大きく異なるのです。この世界の創造主とその目的を知ることこそ、私たちが立ち返り、めざすべき人生なのです。

創造主を知ること

聖書はこの世界が存在するようになった根源的な理由を最初のページから明らかにしています。そして、聖書全体を通してその創造主について深く知ることができるようになっています。この創造主を知るに従って、私たちは何故この世に存在するのかという人生の意味についても知ることができます。そればかりではなく、どうしてこの世には様々な悲しい事件や不幸が存在するのかという理由についても納得がいく答えが見つかります。たとえ自分や社会に対して絶望したとしても、聖書の神が指し示す人類の救い主イエス・キリストと出会い、このお方に導かれるなら、今までとはまったく違う人生の価値観と目的をしっかりと抱いて、新たな人生を歩むことができます。この入門編は、別段難しい知識は必要としません。教会に行かれたことがなくても、あるいは教会にいくことにはまだ抵抗がある方でも、安心して聖書が指し示す神の素晴らしいご人格、ご計画、そして祝福を知っていただく手助けになればと願っています。どうぞ、引き続きお立ち寄り下さい。

人生の意味を知ること

創造主のけた外れの素晴らしさについて、聖書は「聖なる、聖なる、聖なるかな」と表現し、讃美歌にもなっています。また、旧約聖書の中に登場する預言者たちは口々に創造主の栄光の片鱗を垣間見ただけで、その聖さに圧倒され、死を覚悟するほどだったと表現しています。創造主の凄さは言葉で表現するには限界があります。しかし、キリスト教会で神の言葉である聖書を共に学び、分かち合う中で、普段の生活の中や、一般的な諸宗教では体験できない、創造主の確かな隣在を身近に感じながら過ごすことのできる価値ある時間を是非、共にしていただきたいと思います。人は神を知り、神と出会うことによって、正しく己と向き合い、人生の諸課題と正面から向き合うことができるようになります。真実の神との出合いこそ、今、私たちが最も必要としていることなのです。

イエス・キリストと出会うこと

キリスト教は言うまでもなく、イエス・キリスト抜きには語れません。世界の3大宗教と言えば、キリスト教、イスラム教、仏教ですが、仏教の開祖であるブッダとイスラム教の開祖であるモハメットに対し、イエス・キリストは、その人生において特徴的な違いがあります。他の二人の開祖は裕福な家庭に生まれながら、人生の不条理と向き合い、苦労した末に悟りを開きます。結婚歴もあり、長年慈善活動と布教をし、弟子を多く育て、高齢に達して人々に惜しまれながらこの世での最後を遂げています。対象的なのがキリストです。特別に裕福とは言えない大工の家庭に生まれ、30歳までは一家の大黒柱として生活し、結婚はしていません。その後3年半の布教活動の末、民衆を惑わす政治犯として人々にさげすまれながら当時の極刑である十字架刑にて処刑されてこの世での最後を遂げます。若干33歳のことでした。何故、このような人物が世界最大の宗教の開祖になることができたのでしょうか。その背後にある秘密はなんでしょうか。あなたもキリスト教を通してイエス・キリストと出会うことによって、その理由に納得していただけることでしょう。

聖書の最初に書いてあること

ギネスブックに載っている500年間ベストセラーを続けている聖書。その最初のページには何が書かれているのでしょうか。みなさんもこれまでに様々な本を手にされたことだろうと思います。その中に聖書のような出だしの本はあったでしょうか。聖書の出だしとは次のように始まります。

 

新共同訳 創世記1章1節 初めに、神は天地を創造された。

 

これが聖書の最初の言葉です。キリスト教・ユダヤ教・イスラムで共通の経典となっている旧約聖書の最初の5つの書は、神がモーセというイスラエルの指導者に霊感によって書かせた書であり、従ってこの最初の言葉は神自らの言葉だとされています。神を忘れ、自分勝手に生きるようになってしまった人類に対して、この世界は私「聖書の神」が創造したのだということを第一声で明確にしている言葉です。聖書の神は、ただご自分がこの世界を創造した神だと主張されるだけでなく、その後で、本当に自分がこの世界を創造した神であることを証明していかれます。次回以降をご参照下さい。

創造主だからこそ知り得た事実

カナダの天才宇宙物理学者ヒュー・ロス博士は無神論の家庭に育ちましたが、聖書の最初のページを読んで聖書の神こそ、この世界を創造された神に間違いないと確信し、自宅でクリスチャンになる決心をし、それから教会に行くようになったといいます。

 

創世記 1章2節 「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」

 

聖書の最初のページの2行目を博士が読んだ時、目に飛び込んで来たのは最近の科学でようやく解明されて来た地球の原初の状態でした。生命が宿る前の太古の地球の状態は太陽光を通さない分厚いガスで覆われた陸地のない水の惑星だったといいます。しかも、海面上は光が届かないために混沌としていて真っ暗で、水面下はまさに闇に包まれた深淵の世界だったと考えられています。この聖書の部分(創世記)は今から2,200年前から現存していることが確認されています。何故、このようなことを、大昔に記述することが可能だったのか、ヒュー・ロス博士にはすぐに理解できたということです。しかも、その後に続く内容もそれに劣るものではありませんでした。

 

Ⅱ 目からウロコの創世記第1章

いよいよ皆さまを聖書の最初の3~4ページにまとめられている聖書のパノラマとも言うべき神のメッセージのウルトラ短縮版にご案内しましょう。まさに神のみに成し得る芸術的な出だしになっています。聖書を手にとってご覧になった方はおわかりのことと思いますが、それは簡単には読めない膨大な量です。しかし、実は聖書の最初の数ページに、それらの内容が見事なまでに凝縮されて語られていることをご存知の方は少ないと思います。キリスト教、そして聖書は何を教えているのか、これからご案内する聖書の初めの部分を学べば、あなたもきっと目からウロコの体験ができることでしょう。ちなみに目からウロコという言葉も聖書から来ています。それでは神が6日をかけて創造されたこの世界の成り立ちについて書かれている創世記第1章の部分を見ていきましょう。

神が私たちに語りかけられる場所

 1:1 初めに、神は天地を創造された。
 1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

 

 この世界を創造された神とそのご計画を忘れてしまった人類に対して、神は聖書を通して神の真実に近づくことができるようにして下さいました。1節)単純明快にこの世界は神が始められたことを語ります。2節)地球太古の状態は太陽光が地表まで届かない闇に包まれた水の惑星であったことが語られます。詳しくはすでに記述している5月8日の記事をご参照下さい。その前提を抑えた上で「神の霊が水の面を動いていた」という表現に注目して下さい。神の霊が水の惑星の海面を覆いつつ、海面に近いところにおられることが指し示されています。

 これから神が明かす、この地球がどのようにして生命に満ち溢れる奇跡の惑星になっていくのか、地球の遥かかなたの宇宙から眺めながら説明するのではなく、私たち人間の目線である海抜0メートル、海面上から説明がなされていくことが示されているのです。天地創造の神は常に人間の目線に立って語って下さる神なのです。

創造第一日「光が地上に適度に届く奇跡」

 1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
 1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
 1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

 

この世界が確かに聖書の神が創造されたものであることを証明するために、最初の手掛かりとして神が意図的に太陽光が地上まで届くようにされたことが語られます。これは文章で語られているよりも非常に複雑で精密なものでなければなりませんでした。何故なら少しでも太陽光線が強くても、弱くても今日のような生命は誕生しないからです。宇宙飛行士が防護服と防護メガネなしに宇宙空間で太陽光をじかに受けると命に関わる重大な事態になるのと同じで、地上に到達する太陽光線は計算し尽くされた適度なものでなければなりませんでした。少しでも計算が狂えば金星や火星のようになってしまっていたからです。それは奇跡に近い出来事だと科学者が認めているものです。

 

この現世界がもし原初の地球のように、地上までまったく光が届かなかったとするならば、この地上にいる私たちには一日24時間、1月、365日というような時間概念は何の意味も持たなかったことでしょう。このような地球時間が生じたのは、神がそれまで真暗だったこの惑星の地表に光が適度に届くようにされた時からでした。その時から昼と夜という区別がこの地上で始まりました。その時から地上は24時間周期という概念が始まりました。聖書が証言する通りです。神はみごとなまでにこのことを単純明快に表現して下さっているのです。